同じころ、自分のギターに、『This
Machine Kills Fascists』と書いたウディ・ガスリーは、その時代の正義に対して、それは違う、と労働者たちといっしょに叫んだ。
銀行と自警団が大いばりで歩く社会から、何度も何度もぶちのめされながら、しかし、めげることなど一度もなく、うたいつづけた。
あきらめたらどんなに楽かを知っているからこそ、あきらめたらお終いなんだ、と。
このふたりの歌を聴いたボブ・ディランは、苦しみを克服するために音楽の手を借りるのは、逃避ではなく、その辛苦を現実としてはっきりとらえることだと知り、生まれ育ったノースカントリーを出た。
その日から彼は、勝ち目のない嵐に刃向かっていく船のように、なりふりかまわず走り出した。転がりつづける石のように。
そして、心の扉を蹴破る言葉と、凍てつく風みたいな声で、激しい雨がどすどすと足
を踏みならすような音楽を創りだしたのだ。
ある日、三人はそれぞれが十字路にたたずんで、旅へ出るには、目の前にどこまでも
続く道が一本あればそれでじゅうぶんなんだ、ということを知ったのだ。そして毎日、尻尾に火がついたかのように、ここ以外のどこかへ、と飛び出していったのだった。
たぶん……。
僕にとって、放浪詩人たちの歌は、裏通りへの招待状なのだ。それらは、触れば触るほど、たしかな手応えに変わっていったのだ。
と、かっこうのいいことをつらつらと書いてしまったけど、ようするに、音の世界にどっぷりと浸ってしまった僕は、どこへ出かけても、音楽のことが頭からはなれなくなってしまった、ということだ。だから、そのときの旅の本来の目的を忘れて、音を追いかけてしまうこともしばしばである。
ちょっと油断すると、耳もずる休みをしたがるのだ。
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