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4月5日更新 |
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松崎では、『ヴィラ扇』(※1)に宿泊することにした。 5年ほど前、知り合いを通じてこの宿に寄ることがあった。そのときは泊まらなかったが、オーナー細田さんの淹れてくれた深煎りコーヒーの味が忘れられなかったのだ。いい匂いがするいつか泊まりたい宿、という僕の引き出しにしまってあったところだ。 その直感は、大正解だった。 決して豪勢ではないが、静かで気が利いている。部屋も、お風呂も、そして料理も。 食事のとき、食堂ににぎりこぶしほどの「玉」がいくつも飾ってあるのに気がついた。いろんな色のその「玉」たちは、それぞれがつやっぽく輝いている。 細田さんに聞いてみると、光る泥だんご「アースナロダンゴ」だという。 なんでも松崎は、「左官の神さま」とまであがめられている入江長八の出身地である。そこで、左官職とともに漆喰を見直そうではないか、と細田さんたちが動き出した。しかも、漆喰は二酸化炭素を吸いながら固まっていく。漆喰は温暖化防止に役立つ。この玉は地球を救うのだ。と、泥だんごを作っているのである。 |
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つぎの朝、さっそく「アースナロダンゴ」作りをさせてもらった。 とはいっても、色を塗るところからだ。 玉はすでに用意されていた。もともとは、まず泥だんごを作り、さらにその上に漆喰と砂を混ぜた「漆喰砂」を塗り、丸く削り、乾かし、玉ができあがる、という。 この玉に、漆喰に顔料を入れたものを塗って完成させる。 男三人が、色を塗った玉を真剣になって磨いている姿もなんだか変だが、磨けば磨くほどに、玉は輝きを増していく。 こうして、一時間ほどで光る泥だんご「アースナロダンゴ」ができあがったのだ(とはいっても、つやや輝きは飾ってあるものと比べようもないが)。 こうした楽しい手作業をとおして、漆喰の伝統を維持継続していこう、と細田さんは考えているのだ。 なんだか、僕の心までが「アースナロダンゴ」のように丸く輝きはじめたではないか。 |
さて、出発だ。目的地は下田。昨日の倍の距離と、倍以上のアップダウンが待っている。 だいじょうぶ、だいじょうぶ。玉のように転がっていけばいいんだから、と元気にペダルを踏み出したが、玉が元気よく転がっていくのは下り坂だけなんだよな。 僕と同じではないか。 |
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それにしても、伊豆半島の海岸線はアップダウンが多い。 ひとつの心配事がなくなると、それに変わる新しい心配事が必ずや登場する。これを心配事不変の法則という。ここの坂道も同様である。ひと組の登り下りが終わると、新しい登り下りが必ずや登場する。これが坂道不変の法則である。僕がこの自転車旅で発見した意義あることのひとつだ。 てなことをうだうだ考えていると、人生がむだに過ぎ去っていく。 その横を、修ちゃんは、あいかわらず疲れ知らずで漕いでいく。 「人生には、速度を速めることより大切なことがあるんだ」と、声をかけようとしたが、なんと声も出ないほどに疲れ切っている。 やれやれ。 この登り坂のその先は、神さま、いったいどうなっているのでしょうか……。 |
ほんと、地球はでこぼこなのだ。 ひと漕ぎひと漕ぎ、その地球のでこぼこを自分の足で感じながら、自転車旅は進んでいく。 と書くと、かっこういいが、旅は進んでいくよりも休憩のほうが多くなってきた。 ならば、どーんと休憩だ。おにぎりを頬張り、紅茶を入れ、ゆっくりと休むことにした。 が、いくら休んでも坂道がおまけしてくれるわけではない。やはり登りは続くのだ。どうやら神さまにも見放されたようだ。 そこで、登り坂が終わるまで昼寝していようとか、早送りボタンを押してしまおう、などとあいかわらずそんなことばかりをつぶやいて走ることにした。 ポケットにハーモニカを隠し持ってきたけど、いま口にくわえたら、ぜーぜーとしか鳴らないだろう。 しかし、だいじょうぶだ。折りたたみ自転車の旅は、なにもかもがふつうじゃない方向に向かっているような気がしてきた。なんだか、旅はうまくいっているような気がしてきたのだ。 そして、ようやく報われるときがきた。 下田はまだ先だが、もう大きな峠はない。 |
2日目の今日は、古い友人を訪ねることに決めていた。 栃木県から茨城県を流れる那珂川をカヌーで下っているときに知り合った、石橋三津男さんだ。もう20年近くも前のことである。その後、何度も那珂川で出会ったが、現在、石橋さんは下田の吉佐美で、『ワンダフルワールド』(※2)というシーカヤックのガイドサービスをおこなっている。そしてそこには、宿泊のためのコテージやトレイラーハウスがあるという。 僕たちは、そこを訪ねることにしたのだ。 5年ぶりに会う石橋さんと奈々子さんは、人なつっこい変わらぬ笑顔で僕たちを迎えてくれた。 そしてすぐに、こっちこっちと炭火の前に案内してくれ、冷えたビールとともに、深海魚の目玉がさらに飛び出るほどうまい、さまざまな魚の干物バーベキューを焼いてくれたのだ。 炭であぶったその干物を口に入れると、そのひと噛みごとに神さまに感謝したくなるほどである。神さまは今日、干物に姿を変えることで、がんばった僕たちにご褒美をくれたのだ。きっと。 久しぶりの石橋さんたちとの話は、あっちへ行ったりこっちへ来たり。過去へ行ったり未来を覗いたり。 でも、石橋さんがぜんぜん変わっていないことと、こうして心落ち着く場所をまたひとつ見つけたことがなによりもうれしい。 |
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