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ゆっくりと島巡り 案内人 船木文宏

奄美諸島 [徳之島、沖永良部島、与論島] (7)  text&photo Fumihiro Funaki 2008年10月16日更新

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花と鍾乳洞の島「沖永良部島」へ(3)

越山公園〜島一の眺望を楽しみながら非戦を誓い平和を祈る

「納骨堂の中は見なかったのね」
「あういうところを覗き見る趣味はないからね、私には」
「少し気味が悪いですよね」
「そういうことではありません。静かに眠っておられる亡き人、しかもお気の毒な最期を遂げられた方々の静かな眠りを乱すのがイヤなのです」
「はい、はい。川畑さんがしっかりお祈りをしてお詫びしてくださったから大丈夫です」
「うん、川畑さんのあの時の物腰は丁寧で誠意にあふれていて、とても気持ちがよかった」

越山の整備された頂上には、2つの印象的な記念碑が建立されています

お墓からほど近い少し広くなった場所でバスを降りると緩やかな坂道があり、その先にコンクリートの細長い塔と、ねじり飴のような奇妙な形をした記念碑が見えてきました。位置関係は写真のようになっています。

手前のモダンな塔は「和泊町戦没者慰霊塔」でした。町制施行40周年を記念して、1980(昭和55)年に建てられたものです。塔正面前に置かれた黒御影石には、建立の趣意が刻まれています。
「昭和20年8月15日、第2次世界大戦終結の日を迎えてから30有余年わが国は敗戦の痛手から立派に立ちなおり復興を遂げ、平和と繁栄が確立されております。

いっぽう本町も終戦と分離期間の苦難を乗り越えて、復興振興と高度経済成長の道をたどり、今やその容姿も新たに目覚ましい発展を遂げつつあります。

このことは、さきの大戦までに祖国の安泰を念じ、家族の幸福を願って国難に殉ぜられた戦友同胞の尊い生命の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはなりません。

今年町制施行40周年の記念すべき年にあたり、記念事業の一環として、広く町内外の出身者に呼びかけて浄財を募り、この慰霊塔を景勝の地越山頂上に建立し、英霊を慰め功績を永久に顕彰するものであります。

昭和55年12月13日  和泊町戦没者慰霊塔建立委員会」


町制施行40周年を記念して、1980年に建てられた「和泊町戦没者慰霊塔」

塔が建立されてから、さらに28年の月日が過ぎました。平和と繁栄を享受するなかで、新たな不安の芽も大きくなってきているようです。私たちは、この平和が混迷に溶解してしまうことのないように、今いちど愚かな戦争と悲惨な敗戦、そして血の滲むような復興の苦難を思い出さなくてはなりません。南国の大海原に浮かぶ美しい花の島、沖永良部島のこの地に立ってそう祈らざるを得ませんでした。

さて、ねじり飴のような物体はなんでしょうか。1991年に建立された町制施行50周年を記念したモニュメントでした。こんな説明が書かれています。
「明日へ

温暖な気候と豊かな自然に恵まれた和泊は、先人が残した貴重な遺産を継承しながら着実に発展を遂げつつあります。このモニュメントは町制施行50周年を記念して和泊の悠久の繁栄を新しい町づくりのシンボルとして制作されたものです。


貝は陽光に輝くサンゴ礁の海幸 子山羊はのどかで心情あふれる農村風景

螺旋は未来に続く階段  百合は花の島、沖永良部の象徴

蝉は脱皮して明日に羽ばたく自由の姿


手をかざし大空を見上げる子供達の明るい眼差しは明日の和泊の姿を表す。制作者の重村三雄氏は、郷土出身の立体造形家で、そのユニークな発想と作風は多くの話題を呼び、最も注目されている作家のひとりである。

平成3年12月吉日 和泊町(制作:重村三雄、鍛造者:池田美術)」


こちらは町制施行50周年を記念して建てられた、町の平和と繁栄を螺旋階段に託したモニュメンタルな塔
子ヤギと子供。のどかで実り多い農村を象徴しています

ねじり飴の正体は「未来に続く螺旋の階段」を表していたのですね。そしてこの螺旋階段には「えらぶユリ」が刻まれ、セミがとまっています。そして台座にはとても可愛らしい子供と子ヤギが腰を下ろしています。説明を読んであらためてこのモニュメントを見ると、平和と島の繁栄を祈る象徴として、なかなかいい形だなあ、と思いました。


またすぐ近くには、終戦50周年記念事業実行委員会が1995(平成7)年に建てた歌碑もあります。「終戦から50年の節目の年にあたり、戦争で犠牲になった多くの戦没者の供養と悲惨な戦争の歴史を後世に語り伝えると共に、恒久平和への決意を新たに」して「歌碑」を建立し、「記念誌」の編集及び「記念樹」の植栽をする、とあります。歌は和泊町遺族会代表の末川寅吉さんのもので、これを遺族会の南 実一さんが書いたとあります。



時節(とき)ながれ 思ひおこせよ戦勇士(いくさびと)

国にささげし いさおたたえん

遠くを見つめる幼い男女。この子たちの未来が平和であることを祈らざるを得ません

まだあります。和泊町は1985(昭和60)年10月1日に「非核宣言の町」を宣言したのですが、これを記念した石碑が1995(平成7)年に建てられているのです。そこには、町民から募集された標語が2つ刻まれています。


「非核」は豊かな町の合い言葉(大村久美子)

核よ! おまえは何のために生まれたのか(新里 光)


 
終戦50周年記念事業実行委員会が建てた歌碑   和泊町は1985(昭和60)年10月1日に「非核宣言の町」を宣言しました
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